2017 051234567891011121314151617181920212223242526272829302017 07








クマの被害 

前回、人間がクマを殺したことについて、私は理由がわからないと書きました。
人を食べたわけじゃないだろうに、と。
その後、クマが人を食べたというニュースが出てきました。

アメリカでもコヨーテが人を襲えば、そのコヨーテは射殺されます。
そういうルールにのっとれば、日本でも人間を食べたクマは殺される。
前の記事でも百歩譲ってやむを得ないとする、と書きました。

でも相変わらず思うのは、人間のほうが迂闊すぎるということです。
自然をなめている、と言っても良いでしょう。
初めて襲われた人は当てはまりませんが、
もうクマが出没して危険だと知っていながら入った人間は
襲われても自業自得です。

いくらタケノコがとれるからといっても、命とどっちが大切ですかと聞きたい。
そういう人たちが襲われたからクマを殺すって…この流れが理解できない。

もう、人をじゃんじゃん襲ってくる凶暴なクマがいるというのであれば、そのクマは
殺さざるを得ないのかもしれません。
でもその一帯にいる他のクマまで殺しますか…?

クマもオオカミもコヨーテも、野犬でさえも、お腹がすけば何かの死体を食べるでしょう。
彼らは「人間だけ食べない」というようには考えません。
野生の生き物ですから当然ですよね。人間は他の動物と何ら変わりはありません。

人間の側が、動物が住む自然を破壊するのをやめて、
人里に降りてこなくて良いようにしなければいけませんよね。

まずは棲み分け。
それでもフェンスがあるわけじゃないから出会うことはあるし
事故は起きるでしょう。
お互い殺したり殺されたりは、どうしても少しは起きてしまう。
そこはどうにもならないと思います。
でも、人間の側が勝手し放題やりたい放題で野生の動物を殺すのは
どうしても賛成できないと思う、それだけです。



スポンサーサイト
[ 2016/06/30 22:24 ] ひとりごと | トラックバック(-) | CM(0)

どうしてもクマを殺す正当性がわからない 

4人、クマに殺されました というニュースですが、
猟友会がクマを殺しました、と聞くと私は怒りをおぼえます。

人間を襲った動物は殺す
それは人間が勝手に作った掟です。

人間を食ったライオンを殺す
これについても、ライオンが悪いとまでは言えないでしょう。
ただ、確かに人間の味を覚えたらまた人間を襲う危険があるので、
殺さざるを得ないという選択は、百歩譲って仕方ないと言いましょう。
(どういうシチュエーションかによっては、やはりライオンをかばいたいけど)

でも、クマに襲われた人はクマに食われたわけではないでしょう。
クマは驚いて襲ったかもしれません。敵だと思ったかも。

テレビに映った母子のクマ3頭を見るにつけ、
母グマは気が立っていて当然の状況です。

クマが人里まで下りてきているのはなぜでしょうか?
人間が森を切り開いて彼らの生息地を破壊しているからです。

しかも。
番組に登場していたのは「クマ危険!進入禁止」の地域に
タケノコをとりに入っていた人達です。
これまで4人が殺されているのに、しかも「禁止」「クマ出没」という看板があるのに、
「クマにあわなきゃ平気でしょ」と言って平然と入っている。

こういう人たちが殺されても、やはりクマが殺されるわけですよね?
人間の勝手な掟によれば。

どうしてこういうことが堂々と正当であるかのように報道されているのでしょうか。
人間至上主義にもほどがあるでしょう。図々しい。

クマは悪くありませんよ。反省すべきは人間です。
いい加減にしてほしい。生き物を何だと思っているのでしょうか。
人間は、そこまで他の動物と比べて上なのですか?
命を軽く見ている。そう思えてならない。

人間の命がそこまで大切なら、なぜ多くの残忍な殺人犯が射殺されないのでしょう?
殺された被害者の人権はかなり軽んじられた判決が出ますよね?
殺人犯の方の、つまり生きている人間の方の人権ばかり守っています。
本当に矛盾だらけ。

つまり人間の勝手な理屈が私には理解できない。
そういう怒りの気持ちです。

大抵は人間の勝手、わがままで動物が殺されています。
そういうことが多過ぎる。

今回のクマの事件も、アメリカで射殺されたゴリラの事件も、全部人間のせいです。
[ 2016/06/12 19:07 ] ひとりごと | トラックバック(-) | CM(0)

気分の問題 

今日、午前中会社で非常にかったるくて

眠くてつまらなくて、最悪な気分だった。

なのに、ずっと欲しかった靴を今日会社終わったら

買いに行くと決心した途端、気持ちが上がった。

非常に単純なようだが気持ちとはそんなものかも。

自分ながら現金な奴だな―と思った。

そして、確かに現金(お金)の問題だと思った。

どうにか節約しなきゃ、働いても全然貯金できない、

欲しいものも全然買えない、仕事もないのに会社に居たくない、

とか、相当金銭面で追い詰められていたから

欲しいと思った靴をあきらめようと決めていたのだ。

それなのに、今日「やはり買おう!」と決めた途端

やる気になった。なんだかわからないけど気分が持ち上がった。

すごいもんだねぇ。。。

確かに将来のために貯金をしなくちゃ、というのはあるけれど

今が苦しくつまらないのだとすると、やはりそれもどうかと思う。

今日買い物をして帰宅したらスッキリした気分だった。

たまにはパーーー!と買い物したほうがいい。

「お買いもの中毒」はまずいけど、確かに買い物はストレス解消になる。

お金を使う、というのは大事な行為なんだね。
[ 2013/09/24 23:12 ] ひとりごと | トラックバック(-) | CM(0)

譲り合いシート 

混雑する朝の電車。私の隣に立つ女性の前の席が空き、女性はやっと座れた。

いーなーと私が思う間もなく彼女は立ち上がり、
代わりに彼女がさっきまで立っていた空間に
割り込んで立ったスラッとした女性が無表情で当たり前のように座った。

なんで?と思ったらスラッとした女性の鞄に例のものが下がっていた。

「おなかに赤ちゃんがいます」

なるほど、と思ったけど違和感があった。
それは当たり前のように座った妊婦の態度。
譲ってもらってもありがとうと言わない。
目でお礼を言うこともない。
それどころか表情は明らかに「私が座って当然」と言っていた。

なんかおかしくないか?

私は昔すいている昼の時間帯にシルバーシートに座っていた時に
やたら元気に勢いよく車内に入ってきたじいさんに
いきなり腕を掴まれたことかある。

ここで、シルバーシートに若者が座るのが悪いという人もいるだろう。
でも、私はまずそうは思わない。それについては後で。

とにかく、そのじいさんは私を持ち上げて立たせ、
私が座っていたところに座ってふんぞり返った。

私がもし、見えない病を抱えている人だったらどうするのだ。
具合が悪くて誰かに席を譲ってもらったばかりだったら?
ペースメーカーを入れている人だったら?

座ったじいさんは私を「若者」だと見た目だけで判断し、
それだけの理由で腕を掴んで立たせた。

車内のシルバーシートでなければ、そうはしないはず。
シルバーシート以外でそんなことしたら座っている人と喧嘩になる。
下手すると警察に連れていかれる、乱暴したとして。

じいさんはピンシャンしていて、すごい力だったし、
本当に、その辺の若者より元気そうだった。
でも自分を「年寄り」と定義して自分が座って当然と思ったわけだ。
シルバーシートにはそういう変な威力を年寄りに与える。

年寄には席を譲れというが、無理矢理人を立たせてまで
座っていいという話ではない。
人の良心やモラルの問題なのだ。法律や規則ではない。
どんなに苦しくても若い人は年寄に席を譲れという話ではないはずだ。

そもそも、譲る側だけではなく譲ってもらう側にも当然モラルや礼儀は
あってしかるべきではないか。

もうひとつ。
見えない病を抱えている人は、まだお腹が大きくない妊婦のように
目に見える「譲り合い」の対象ではない。
つまり気づいてもらえない。

妊婦のあの「おなかに赤ちゃんがいます」はなんなのだろうか?

薬を飲んで痛みに耐えてる人は「私は癌です」なんていうホルダーをつけてはいない。
「私はさっき病院に行っていろんな検査をしたばかりの重病人です」という名札を
つけてはいないのだ。

また、譲ってもらったのに怒る人はどうなのか。

譲ってもらって当たり前、なんで早く気づいて立たないの?!
みたいな態度の人はどうなのか。

それらの疑問が「譲り合い」という名前のシートに対して
私の中になんとなくある。
電車に乗るたびに、それはなんとなく存在していて、
非常に不愉快なものである。

なんとかならないのか、本当に。
[ 2013/06/19 23:26 ] ひとりごと | トラックバック(-) | CM(0)

音姫の存在 

会社のトイレには例のものがついている。

音で排泄の音をかき消す「音姫」というやつ。

男子トイレにあるのか不明だが、女子トイレにはありますね。

これが結構気になる。

小川の流れというか、水が流れる音を出して排尿の音を消すもので、

これは「排泄の音=恥ずかしい」という日本人独特の感覚から生まれたものだ。

外国人は堂々と排泄の音をさせている。それを恥ずかしいとは思っていない気配。

だって「人間だもの」と誰だかのセリフをまねてしまうが

人間だれでも排泄をするし、誰でも同じ音をさせるではないか

という感覚だと思う。何が恥ずかしいのかわからない。

確かにその通りなのだ。日本人はトイレをかなり充実させてきた民族だ。

そもそも恥ずかしいという気持ちから排泄の音を消そうとして

トイレの水を流しながら排泄する女子が増えて、水がもったいないということから

音姫なるものができたんだと思う。

しかし、水がもったいないのに、電気はもったいなくないのだろうか。

これが私の第一の疑問

水に対して音姫で使われる電気は微々たるものだから水を流すよりはいい

という主張を聞いたことがあるが、結局は電気を使っているわけで

それがエコかというとどうなのか。そこまでして排尿の音を消さなければならないのか。


そして第二の疑問は音姫の水音は排尿の音と違うため、音姫のボタンを

押してみたところで、排尿の音がしっかり別の波長で聞こえているという点だ。

なんの意味があるのだろうか。

音姫をあちこちで流しているときはさすがに音の大きさでかき消されるが、

誰かが1人で使用しているときには実は排尿の音はしっかり聞こえてしまっている。

なんだかかえって恥ずかしい。

というわけで、トイレに入るたび押すか押さないか迷いながら

音姫のボタンを見つめる日々が続いている。

押すタイミングだって非常に問題である。

下手すると音がずれるではないか。

皆はどうしているのだろうか。音姫。名前さえもなんだか恥ずかしいよね。


[ 2013/05/03 00:35 ] ひとりごと | トラックバック(-) | CM(0)