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新しい道 

りおとの生活での面白いことのひとつは、
彼女は新しい道を発掘するのが好きだということ。
私はというと道については臆病なので、あまり新しい道を行って迷子になるのが怖い。

でも、りおと歩くと、彼女は果敢に新しい道を行く。

やめようよ、と言っても「いや、行ってみよう」と引っ張る。「こっちがいい」と。
仕方なくついて行くと「あら、こんな細い道がここにつながっているのね」と
新たな発見があったりする。
こんなに山を登って下りて、するとこっちの大通りに出る、とか。

この「新たな発見」はりおと暮らさないと私にはあり得ない。
私はいつもの道を選ぶタイプなので。

犬にも個性がある。
実家の愛犬(故)は「いつもの道」が何タイプかあって
家族のだれが散歩しても、そのどれかを選んで歩いていた。
「今日はどこ行ってきた?」「●●公園の方」とか
「●●大学の方まで行ってきた」「随分遠くへ行ったのね」とか
家族がわかるルートを歩いていたっけ。

でも、きっとりおと歩くと、新しい道へ行ってしまって、
私以外が散歩すると帰宅できないかも。
今、りおと散歩するのは私だけなので、
これはいつものルートではない、ということがわかるけど。

でも、りおに勇気があるかというと、彼女はやはりとても臆病。
たぶん私といるから好き放題行ってるんだろうと思う。
面白い子だ。

彼女といると私には驚きと笑顔がもたらされる。
貴重な時間である。

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[ 2013/05/27 08:06 ] 愛犬りおとの日々 | トラックバック(-) | CM(0)

犬が教えてくれること 

犬との生活は私にいろんなことを教えてくれる。

例えば、りおを散歩に連れていき、一緒に歩くと

その後ろ姿が非常に楽しそう。

ただ歩くだけなのに、非常に非常に楽しそう。

純粋に喜び溢れる姿をみると、

自分が大事なことを忘れているように感じるのだ。

喜びっていうのは、日々の繰り返しのなんてことはないものの中に

見いだせるものなんじゃないかと。

どうも贅沢に悩んだり悲しんだりしているのではないか。

歩く、ただそれだけのことがこんなに幸せなりおの姿を見ると

そんな風に感じる。

犬と暮らすっていうのは、純粋な生き物の姿から

常に何かを感じられるということだ。

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[ 2013/05/13 20:40 ] 愛犬りおとの日々 | トラックバック(-) | CM(0)

音姫の存在 

会社のトイレには例のものがついている。

音で排泄の音をかき消す「音姫」というやつ。

男子トイレにあるのか不明だが、女子トイレにはありますね。

これが結構気になる。

小川の流れというか、水が流れる音を出して排尿の音を消すもので、

これは「排泄の音=恥ずかしい」という日本人独特の感覚から生まれたものだ。

外国人は堂々と排泄の音をさせている。それを恥ずかしいとは思っていない気配。

だって「人間だもの」と誰だかのセリフをまねてしまうが

人間だれでも排泄をするし、誰でも同じ音をさせるではないか

という感覚だと思う。何が恥ずかしいのかわからない。

確かにその通りなのだ。日本人はトイレをかなり充実させてきた民族だ。

そもそも恥ずかしいという気持ちから排泄の音を消そうとして

トイレの水を流しながら排泄する女子が増えて、水がもったいないということから

音姫なるものができたんだと思う。

しかし、水がもったいないのに、電気はもったいなくないのだろうか。

これが私の第一の疑問

水に対して音姫で使われる電気は微々たるものだから水を流すよりはいい

という主張を聞いたことがあるが、結局は電気を使っているわけで

それがエコかというとどうなのか。そこまでして排尿の音を消さなければならないのか。


そして第二の疑問は音姫の水音は排尿の音と違うため、音姫のボタンを

押してみたところで、排尿の音がしっかり別の波長で聞こえているという点だ。

なんの意味があるのだろうか。

音姫をあちこちで流しているときはさすがに音の大きさでかき消されるが、

誰かが1人で使用しているときには実は排尿の音はしっかり聞こえてしまっている。

なんだかかえって恥ずかしい。

というわけで、トイレに入るたび押すか押さないか迷いながら

音姫のボタンを見つめる日々が続いている。

押すタイミングだって非常に問題である。

下手すると音がずれるではないか。

皆はどうしているのだろうか。音姫。名前さえもなんだか恥ずかしいよね。


[ 2013/05/03 00:35 ] ひとりごと | トラックバック(-) | CM(0)