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人間より動物を愛すること 

最近、LGBTという言葉で代表される性的少数者(レズビアン[女性同性愛者]、ゲイ[男性同性愛者]、バイセクシュアル[両性愛者]、トランスジェンダー)のパートナーシップを認める証書を発行する区などが日本でも出てきて、にわかに話題になっている。

報道では、パートナーと証書を受け取って区役所から出てくるゲイの男性と、反対にどうしても社会の反応が怖くて、役所に届け出ることはしたくてもできないと言っている男性が取り上げられていた。
それを見て、社会が非常に遅れていることが嘆かわしくため息がでた。
社会全体、もっともっと温かく、自分と違う人を受け入れるようになってほしいと思った。
犯罪は別ですよ。他人の命を脅かしている人とかは論外ですが。

そんな話からなぜこのタイトルの「人間より動物を愛すること」につながるかというと、つまり一般常識と言いながら偏見を押し付けられて、生きにくい思いしているのは、LGBTの人々だけじゃないんだよねぇ。。。と私自身が感じたからだ。

「私は人間の赤ちゃんより動物のほうがかわいいと思う」と他人に言えば、
「こいつは異常だ」「おかしいんじゃないか」「どっかに欠陥があるに違いない」という反応がほぼ100%返ってくる。
だから、なかなかそう言えない人がいる。ということは、ちょっとネットで調べればわかることだ。
そういう他人の反応にショックを受けたという人が悩んでネットに投稿したりしている。

というわけで、私も自分のことを書いてみることにした。
私は、人間の赤ちゃんより動物の赤ちゃんに愛情を感じる。人間より動物が好きなのだ。

最近こんな↓ニュースがあった。
『シベリアで氷河期の絶滅ライオン見つかる』
氷河期に生息していた「ホラアナライオン」の赤ちゃんで、皮膚、毛すべてが残った
完全な保存状態で見つかっていて、その写真が載っていた。
それを見たら、なんだか涙が出てきた。本当に愛らしい眠るような姿がかえって痛々しく、どんなに寒くてつらかったろう、母ライオンとはぐれたのだろうか、とか思うと泣けてしまった。

ところが
思えば以前人間の3、4歳の女の子がやはり肌も髪の毛さえも、まるで生きているかのような状態でミイラとなっている姿を見たことがあったが、「すごいなー、こんな状態で残ることがあるのか」とは思うものの、亡くなったその子をかわいそうだなーとか、そういう方向には感情は動かなかった。

やっぱり私は本当に動物に対して強い愛情を感じるようなのだ。
特に人間があまりに傲慢で、地球上で一番高等な生き物だと思って他の動物を殺しているのを見ると、同じ人間として情けなく感じる。なんて浅はかなんだと。
私と同じように動物の方に愛情を感じる人たちは、きっとそういう自分の気持ちを堂々とは他人に言えないことだろう。
言えばきっと返ってくる答えは「冷たい」「寂しい人だね」「どっかおかしい」という言葉に違いないからだ。

例えば、赤ちゃんを見てにっこりする友人と、そうでもない私。
まるで私の方が冷たくてダメな人間みたいに見えることだろう。
でも、友人と私とでは、きっと社会における役割が違うのだろう。

でも、ネットでは心ない言葉がガンガン飛び交っている。
「動物に強い愛情を感じる人の傾向」とか、勝手に決めつけて心理学だとか何とか言って「こいつらは心が病んでる」みたいに書いていたりもする。

「人間のほうに愛情を感じなければ異常」
これが世間の常識というか、人間の社会で暮らすための掟みたいになっている。

どんな人がいたっていいじゃないか、と私は思うし、自分と違う人を「悪」にしたがるのは、もう古い人のやることじゃないか?

人間よりも動物と心を通わせられるのであれば、それはそれで一つの才能であり、能力だ。
それができない人より優れている。

「思いやり」の対象は人間でも動物でもよいではないか。動物の方に愛情が強いからといって、人間に対して冷たいかどうかはまた別な話。「人間好きです」と言っている人よりもっと深く人間を愛してる可能性もあるんだからさ。

ちなみに、LGBTの人たちはその辺の人間よりよっぽど思いやりもあって人間らしいということを私は知っている。
早く、彼ら、彼女らが「社会の反応が怖い」なんて言わなくて済む社会になってほしい。

今日は、LGBTを認める証書発行のニュースに感化されて、動物好きの私が小さな告白でした。

最後に:私とお付き合いがある友人の皆様、私はあなたたちより動物が好きですと言いたいわけじゃないので、そこは誤解なさらぬようお願いします。あなた方は私の大事な友人です。
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[ 2015/11/08 19:24 ] 愛犬りおとの日々 | トラックバック(-) | CM(2)

白内障 その3 どうしてもわからない 

11月に入った今日この頃。

りおは、目が見えないなりに、ボールを追いかけて、
でも当然見失い、私の声や音の誘導、自分の感覚、そういう視覚以外の能力を総動員して
ボールを見つけて持ってきたり、
花壇のおよその位置の見当をつけて、前足で空をかきながら位置を確認し、
花壇に飛び乗って歩いたり、
そんな風に徐々に目が見えない生活でも今までやっていたことをやろうとして、
そういう生活に慣れてきて、
見ている私も悲しい気持ちから徐々に、仕方ないのかな…と思い始めていた。

そんな今日、ふと携帯電話で撮影していたりおの写真を見て、
私がおもちゃを手に空中で揺らし、それを見つめて飛びかかろうとする
りおの姿が写っていた。
見れば日付は8月末。
その数日後、りおは膵炎にかかった。
私の不注意で。
5日間の入院の後、彼女の視力は両目共にほぼゼロになっていた。

わからない。どうしても。たった5日前は見えていた。
なのに、5日経った後に目は見えなくなっていた。
左目だけはまだ見えていたのに。

先生が言うように膵炎が原因ではないとするなら、
やはり入院の精神的なショックが原因だとしか思えない。

膵炎にさえかからなければ、左目はまだ見えていたのかもしれないと思うと、
そして私が飼い主としての意識が低かったために
りおが膵炎になってしまったからだと思うと、
本当にりおに対して申し訳ない。ただそれだけ。

そう思ったら、つい泣いてしまった。
2か月ぐらい経って、ようやく落ち着いて受け止められるようになっていたけど、
たった5日前の、目が見えていたりおを見たら、やっぱりどうしても・・・

でも、今はりおの様子を見ていて、わざわざ手術してまで
視力を取り戻したいと彼女が思っているかどうか、それはやっぱり
飼い主が思っているだけの話のようにも思える。
ボールもう一度追いかけられたらきっと楽しいだろう。
でも、それができなくても、彼女はできない自分のまま、
ボールを追いかけている。

ボールを投げると幸せそうにしている。
まだ、手術しないとも決められないけれど、
するとも思いきれない。もっと時間が必要だ。
[ 2015/11/05 22:28 ] 愛犬りおとの日々 | トラックバック(-) | CM(0)