昨日、帰宅しても
りおが迎えに出てこなくて、私が部屋に入って荷物を置いても動かなくて、
観察してたら呼吸してないように見えたから恐る恐る声をかけたら、
「ん?」とわずかに目を開けて、もっと声をかけたら「あれ?」と私の存在に気づいた。
こんなこと、今までなかったからビックリしてしまった。
若い時に比べて、特に12歳の誕生日に目が見えなくなってからは、玄関まで出迎えにくることはなくなっていた。
それでも、恐らく玄関の鍵やドアを開ける音で起きるのだろう。私が部屋に入ると、いつも体は起こしていた。
それなのに…。
スヤスヤと眠っていたようだけど、単に深い眠りに入っていた瞬間だったのか、それとも耳が遠くなったのか。
「耳が遠くなったのかも」というのが最初に頭に思い浮かんだことで、切なくなって一瞬だけ涙が出た。
あとから、「もしかしたら気候が良いし気持ちよく寝入ってただけかな?」と思ってみたりしたけど、
ムリがあるよね。だって犬だもの。
耳もいいし、飼い主が帰宅するのを心待ちにしている。はず。
昨日の
りおは、私に気づくと「なぜそばにいるの?」と驚いていたけど、その驚きはすぐ喜びに変わったようだった。
お尻をふりふり、「ママ、そこにいるのね」と近づいて私に体をこすりつけた。
かわいいかわいい
りお。
そうか、もうやっぱり年なんだね。
若くないんだ。私が願うほどには若くないんだね。
そのことを最近少し、また少しと、何か今までと違う
りおの様子を見ながら、感じている。
昨日は、実はちょっと寄った本屋で変な本に出会っていた。
「おやすみ、リリー」という老犬を看取る本だった。だからかな?動かない
りおを見て不安になったのは。
そばにずっといて欲しいけど、私が先に死んでしまったら、彼女を看取る人がいなくなるものね。
彼女を置いて死ぬよりは、彼女が死ぬまで私がそばにいて、愛してあげたいものね。
犬と暮らすということは、いつか必ず最期が来て、その猛烈な哀しみを乗り越えないといけないということ。
愛犬の新太郎が死んだ時、それを死ぬほど実感し、何年も悲しみ続けた。
やっと最近、思い出してもすぐ泣くということはなくなった。
今年14歳になる
りお。
医者は「15歳までは生きるから」などと、なぜか15歳で区切ってしまう。
もうあとわずかってことじゃないか。やめてくれよ。
そう思ったけど、最近こうやって反応が少しずつ悪くなり、眠る時間が多くなる
りおを見ると
いずれ覚悟せねばならない時が来るな…それが思いも寄らぬぐらい近いかもしれない、と
思ってしまう。
ああ・・・でもどうか、長生きしてね。
りお。
かわいいかわいい
りお。
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