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白内障 その4 過熟 

今年2月に動物の眼科(鎌倉山)に行ってきた。
りおの目はもう一番進行している「過熟」だと診断された。
「未熟」、「成熟」、「過熟」の3つの段階があるようだ。

さらに、以前からそうだけれど、りおの目には別な問題がある。
「虹彩萎縮」なのだ。

虹彩萎縮があるため、瞳孔はうまく開かない。固まってしまっている。
血管を切ってしまう可能性が高いので手術するのは難しいらしい。

というわけで、先生からは2種類の目薬を延々さすだけの処方が。
ジクロフェナクとヒアルロン酸です。
これをさし続けていたら、どうやら若干眼圧の状態は良いようです。
つまり炎症が起きたりはしていないということ。
でも白内障が良くなることはない。

で、ひたすらネットサーフィンで何か方法はないものかと探していた。
そしたら「クララスティル」というものを見つけた。
どうもネット上の評判はまずまず。
どんどん検索を進めると、次に「C-NAC」という目薬を見つけた。
これは「クララスティル」のジェネリックらしい。
そして実は「C-NAC」の逆の「CAN-C」というのを見つけた。
これも結局のところクララスティルのジェネリックらしい。
なぜ逆になっているのか。

なんにせよ、行きつけの病院のお医者さんに聞いてみた。
すると「クララスティル」の症例は少ないので何とも言えないということで、
結局りおの「虹彩萎縮」の症状を思うと単に白内障だけの問題じゃないので、
今のジクロフェナクを止めるのはおススメできないと言われた。

というのも、「クララスティル」を使う時には条件がある。
今使っているサプリメントや目薬は中止して、これ一本にしてくださいというもの。
なので今使ってるジクロフェナクを止めないといけない。

どうするか…現在検討中。
可能性は低くても可能性があるなら「クララスティル」やってみたい気はするんですよね。
だって、もう手術は無理なんだもの。

目が見えないのに、今でもボールを投げてほしいとせがむし、
今でもフリスビーを家の中で投げて遊ぶのです。
音、気配、匂いを頼りに探します。

あああ…もう一度目が見えるようになったらねぇ。。。
去年のりおには見えていたが、今年のりおには見えません。
[ 2016/03/30 21:44 ] 愛犬りおとの日々 | TB(0) | CM(0)

人間より動物を愛すること 

最近、LGBTという言葉で代表される性的少数者(レズビアン[女性同性愛者]、ゲイ[男性同性愛者]、バイセクシュアル[両性愛者]、トランスジェンダー)のパートナーシップを認める証書を発行する区などが日本でも出てきて、にわかに話題になっている。

報道では、パートナーと証書を受け取って区役所から出てくるゲイの男性と、反対にどうしても社会の反応が怖くて、役所に届け出ることはしたくてもできないと言っている男性が取り上げられていた。
それを見て、社会が非常に遅れていることが嘆かわしくため息がでた。
社会全体、もっともっと温かく、自分と違う人を受け入れるようになってほしいと思った。
犯罪は別ですよ。他人の命を脅かしている人とかは論外ですが。

そんな話からなぜこのタイトルの「人間より動物を愛すること」につながるかというと、つまり一般常識と言いながら偏見を押し付けられて、生きにくい思いしているのは、LGBTの人々だけじゃないんだよねぇ。。。と私自身が感じたからだ。

「私は人間の赤ちゃんより動物のほうがかわいいと思う」と他人に言えば、
「こいつは異常だ」「おかしいんじゃないか」「どっかに欠陥があるに違いない」という反応がほぼ100%返ってくる。
だから、なかなかそう言えない人がいる。ということは、ちょっとネットで調べればわかることだ。
そういう他人の反応にショックを受けたという人が悩んでネットに投稿したりしている。

というわけで、私も自分のことを書いてみることにした。
私は、人間の赤ちゃんより動物の赤ちゃんに愛情を感じる。人間より動物が好きなのだ。

最近こんな↓ニュースがあった。
『シベリアで氷河期の絶滅ライオン見つかる』
氷河期に生息していた「ホラアナライオン」の赤ちゃんで、皮膚、毛すべてが残った
完全な保存状態で見つかっていて、その写真が載っていた。
それを見たら、なんだか涙が出てきた。本当に愛らしい眠るような姿がかえって痛々しく、どんなに寒くてつらかったろう、母ライオンとはぐれたのだろうか、とか思うと泣けてしまった。

ところが
思えば以前人間の3、4歳の女の子がやはり肌も髪の毛さえも、まるで生きているかのような状態でミイラとなっている姿を見たことがあったが、「すごいなー、こんな状態で残ることがあるのか」とは思うものの、亡くなったその子をかわいそうだなーとか、そういう方向には感情は動かなかった。

やっぱり私は本当に動物に対して強い愛情を感じるようなのだ。
特に人間があまりに傲慢で、地球上で一番高等な生き物だと思って他の動物を殺しているのを見ると、同じ人間として情けなく感じる。なんて浅はかなんだと。
私と同じように動物の方に愛情を感じる人たちは、きっとそういう自分の気持ちを堂々とは他人に言えないことだろう。
言えばきっと返ってくる答えは「冷たい」「寂しい人だね」「どっかおかしい」という言葉に違いないからだ。

例えば、赤ちゃんを見てにっこりする友人と、そうでもない私。
まるで私の方が冷たくてダメな人間みたいに見えることだろう。
でも、友人と私とでは、きっと社会における役割が違うのだろう。

でも、ネットでは心ない言葉がガンガン飛び交っている。
「動物に強い愛情を感じる人の傾向」とか、勝手に決めつけて心理学だとか何とか言って「こいつらは心が病んでる」みたいに書いていたりもする。

「人間のほうに愛情を感じなければ異常」
これが世間の常識というか、人間の社会で暮らすための掟みたいになっている。

どんな人がいたっていいじゃないか、と私は思うし、自分と違う人を「悪」にしたがるのは、もう古い人のやることじゃないか?

人間よりも動物と心を通わせられるのであれば、それはそれで一つの才能であり、能力だ。
それができない人より優れている。

「思いやり」の対象は人間でも動物でもよいではないか。動物の方に愛情が強いからといって、人間に対して冷たいかどうかはまた別な話。「人間好きです」と言っている人よりもっと深く人間を愛してる可能性もあるんだからさ。

ちなみに、LGBTの人たちはその辺の人間よりよっぽど思いやりもあって人間らしいということを私は知っている。
早く、彼ら、彼女らが「社会の反応が怖い」なんて言わなくて済む社会になってほしい。

今日は、LGBTを認める証書発行のニュースに感化されて、動物好きの私が小さな告白でした。

最後に:私とお付き合いがある友人の皆様、私はあなたたちより動物が好きですと言いたいわけじゃないので、そこは誤解なさらぬようお願いします。あなた方は私の大事な友人です。
[ 2015/11/08 19:24 ] 愛犬りおとの日々 | トラックバック(-) | CM(0)

白内障 その3 どうしてもわからない 

11月に入った今日この頃。

りおは、目が見えないなりに、ボールを追いかけて、
でも当然見失い、私の声や音の誘導、自分の感覚、そういう視覚以外の能力を総動員して
ボールを見つけて持ってきたり、
花壇のおよその位置の見当をつけて、前足で空をかきながら位置を確認し、
花壇に飛び乗って歩いたり、
そんな風に徐々に目が見えない生活でも今までやっていたことをやろうとして、
そういう生活に慣れてきて、
見ている私も悲しい気持ちから徐々に、仕方ないのかな…と思い始めていた。

そんな今日、ふと携帯電話で撮影していたりおの写真を見て、
私がおもちゃを手に空中で揺らし、それを見つめて飛びかかろうとする
りおの姿が写っていた。
見れば日付は8月末。
その数日後、りおは膵炎にかかった。
私の不注意で。
5日間の入院の後、彼女の視力は両目共にほぼゼロになっていた。

わからない。どうしても。たった5日前は見えていた。
なのに、5日経った後に目は見えなくなっていた。
左目だけはまだ見えていたのに。

先生が言うように膵炎が原因ではないとするなら、
やはり入院の精神的なショックが原因だとしか思えない。

膵炎にさえかからなければ、左目はまだ見えていたのかもしれないと思うと、
そして私が飼い主としての意識が低かったために
りおが膵炎になってしまったからだと思うと、
本当にりおに対して申し訳ない。ただそれだけ。

そう思ったら、つい泣いてしまった。
2か月ぐらい経って、ようやく落ち着いて受け止められるようになっていたけど、
たった5日前の、目が見えていたりおを見たら、やっぱりどうしても・・・

でも、今はりおの様子を見ていて、わざわざ手術してまで
視力を取り戻したいと彼女が思っているかどうか、それはやっぱり
飼い主が思っているだけの話のようにも思える。
ボールもう一度追いかけられたらきっと楽しいだろう。
でも、それができなくても、彼女はできない自分のまま、
ボールを追いかけている。

ボールを投げると幸せそうにしている。
まだ、手術しないとも決められないけれど、
するとも思いきれない。もっと時間が必要だ。
[ 2015/11/05 22:28 ] 愛犬りおとの日々 | トラックバック(-) | CM(0)

白内障 その2 視力急激に悪化 

前回このブログで愛犬の白内障について書きました。
その後、膵炎にかかって入院したりして、
命優先で膵炎をまず治してから白内障に対処という気持ちでした。

で、膵炎はこの週末、病院で再度血液検査して数値も正常にもどり、
とりあえず一安心のところまできました。
あとは、食事を今までのものに徐々に戻して異常がなければよし、ということです。

で、白内障に話を戻しますが。
膵炎で入院する前と退院後、あまりの視力の低下ぶりに驚愕しました。

今まで左目は見えているんでしょうという診断で、
りおも花壇に飛び乗るときにちょっと膝をうってしまったりすることはあったけど
飛び乗れない、飛び乗るのを怖がる、ということはなかったのに
戻ってきたりおは、家の中のベッドにも飛び乗れないし、
なんと道を歩いていたら電柱にぶつかったのです。
そんなまさかと目を疑いました。
りお自身も、戸惑っていました。
なぜなんだろう…と思っているようでした。

今までそんなことは一度だってなかったのに、まるで両目が見えていないかのようです。
ボールもまるで目で追えない状態になっています。

入院前はボールを追うことはできていたのです。
見失う確率が高くなったな、程度で時間をかければ見つけることはできたのです。
今は足元にあっても見つけられない。本当に見えていないんだとわかり愕然としました。
こんなに急に?なんで、何が原因で?

たった5日間の入院で急に老犬度が増したようでした。
膵炎や入院中の対応が原因ではないと病院の先生は言いました。

慣れているベランダもわからないようでした。
ものすごい時間をかけて鼻をつかってベランダの広さと場所を勉強していました。
たまに物干しの足にぶつかったりして引き返したり、その様子がなんとも…。
ベランダに出るときの段差も怖がります。そりゃそうよね。見えないんだから。

退院後一週間以上がたった今日、久々に自転車に乗せてみました。
かごにのせた状態で曲がるときや止まるとき、できるだけ声を出して
合図を出して、その規則性を覚えてもらえれば彼女も楽だろうと
ずっと声を出しながら自転車に乗りました。

公園についたら、やっぱり見えないせいで行動範囲が異常に狭く、
私が声を出して自分の居場所を教えながら、リードで行動範囲を広げて
公園を一周しました。目が見えていなくても、芝生は嬉しかったようです。

できるだけりおが落ち込まないように、今までと変わらず
活発に過ごせるようにしてあげたい。

そして、以前のようにボール遊びもおもちゃ遊びも、と望むなら、
イチかバチかの手術も考えないといけないかな・・・と思い始めています。
いや、まだ迷っているのですけれどね。
[ 2015/09/20 20:20 ] 愛犬りおとの日々 | トラックバック(-) | CM(0)

りお膵炎にかかる 

まさかという気持ちでした。

12歳の誕生日を前に彼女は腹痛をうったえました。

そして誕生日に入院ということに。

私は初めて「膵炎」なんていう言葉を聞きました。
先生は「重症化すれば死ぬ場合もあるんですよ」と
危機感のない私に教えてくれて、即入院を決定しました。

3日前に脂っこいものを「ちょっとだけね」とあげてしまった。
それが引き金となったようです。

これまでも人間の食べるもので、少しだけよとあげることはあったのです。
今回もその程度に軽く考えていたのが悪かった。
飼い主のミスです。

考えてみたら12歳になろうとしている犬に、
もう人間のものをあげてはいけなかった。

若い犬は解毒する力や代謝もよく、それに耐えられるかもしれないけれど
年をとってきている犬に同じようにしてはいけなかった。

そもそも、私は自分の犬が年をとっているという意識が薄かったんです。

今でも元気によく走り、よく遊び、よく食べるりおを見ていて、
きっと近所のトイプードルみたいに20歳まで生きるね、と思い(希望ですが)
まだ8年あるよ、元気に頑張ろうねと言っていました。

大型犬は12歳は高齢。完全に老犬です。
小型犬は大型犬よりは若くいられるけれど、それでもやはり12歳なのでした。

その意識が足りなかった、飼い主が悪いですね。

今回非常に反省しました。

入院までの3日間、とても痛そうだったのです。
それでも胃痛とか腹痛程度に考えていました。
誕生日になってもまだ痛そうだ、ということで血液検査に至りました。

痛い痛いとうったえていたのに、そこでも私は脂っこいものを食べて痛いのであれば
食べ過ぎとか胸焼けとか、そういうものだろうと思って時間がたてば治ると思っていました。

そして、事実日を追うごとに「食べよう」とする気力、「遊ぼう」とする気力は戻ってきていたのです。

それなのに痛いとうったえるポーズはやまず、結果膵炎ということに。

病院でひどい目に遭った経験があるので、私としては下手に病院に連れて行って
犬がさらにひどい目に遭うことだけは避けたかったのですが、
こういうときにはその対処が裏目に出ます。

犬と暮らすって本当に難しい。

思えば前に死んでしまった犬も、老犬になって病院に連れて行ってもらって
チューブで排泄させてもらって目がきらきらしたのを見た母は「元気になった」と思ったそうです。
亡くなったのはその夜でした。

だから元気になったかと思っても油断はできないのです。
犬の痛み、体の状態を正確に把握するというのは本当に本当に難しい。

今回、入院中で家にいないりおを思いながら
つくづくそう思っています。
[ 2015/09/06 09:59 ] 愛犬りおとの日々 | トラックバック(-) | CM(0)